moremorenore’s diary

ゆったりゆるゆる

男性中心社会にアッパーカットをくらわすかのような 【映画の記録-哀れなるものたち-】 ※ネタバレ注意

 友達の口コミの評判がよく、先日ランティモス監督の『哀れなるものたち』を見てきた。原作のある作品なのだそうだがまだ未読であるため、今回は映画だけを見て感じたことを記録していく。今後機会を設けて原作を読んだうえでまた改めて記事を書きたいと考えている。※ネタバレを自重していないので未鑑賞の方はご注意して頂きたい。

 ある妊娠した女性が投身自殺をするが、天才外科医ゴッドウィンがおなかの中にいた胎児の脳を彼女に移植しベラ・バクスターを誕生させる。驚くほどのスピードで成長したベラはより開けた世界へ出ていく…という感じで物語は進んでいく。

 

 エマ・ストーンの演技がすごくよくて、キャラクターもそれぞれクセがあり結構長い映画だったのだが飽きることなく見ることができた。全体を通して痛快な感覚を味わわせてくれる。ベラを生み出したゴッドウィン、ベラに恋したマックス、そして最初はベラを性的な道具ぐらいにしかとらえていなかったダンカンにいたるまで、基本的に男性の登場人物は最初は女性を(意識的であれ無意識的であれ)下に見ている。が、最終的に彼ら(ダンカンは特に)はことごとくアッパーカットを食らってベラを支配する立場から退散していく。ベラは社会の制約にただただ囚われることはなく、文字通り生まれたての純粋な視線で世の中を見つめ、そして成長する。

 

 私は映画を見ながら教育学者、保育園や幼稚園教諭の方とこの映画を見てみたら面白いかもしれない…と思った。例えばゴッドウィンの家にいたときに、彼女がセルフプレジャーを習得する場面がある。この時マックスは「良識な社会に反する」と批判するのだが、セルフプレジャー自体は悪いこととは言えないし、こういう時は「自分だけのプライベートの空間が確実に確保されたときにだけできる行為」であると適切に指導すればいいよな…と思う。また、私が一番印象に残ったのがアテネでのシーンだ。初めは死体にナイフを刺しまくりカエルを無邪気に殺してしまっていたベラだが、貧しい人々を見て心を痛める彼女の姿は子どもが他人との交流をとおして共感性や道徳観を見つけていく様子と重なる。

   ベラ本人はスポンジのように様々なことを吸収し消化して成長していく存在なので、このような視点を含めて日々幼児の成長に向き合っている方々にもベラというキャラクターの成長について意見を聞いてみたいなと感じたのだ。

 

 ただ、いくつか違和感を持った点もある。ここまでパリの娼婦館での場面いるのかな…とは思った。私の感覚で申し訳ないのだがほかの都市でのシーンの長さに比べてパリのシーンの長さの比重が長いんじゃないかな…と感じたのだ。

   また、もしこの映画がフェミニズムを主題の一つとして添えているならここで避妊についての言及はなくていいのかなという感想をもった。蛇足になるのかもしれないのだが、なんせ妊婦が投身自殺するシーンから始まる(そしてベラの脳はその女性の子どもである)映画なので①妊娠という概念が根幹に存在する ②妊娠に対して明るいイメージがない という点から見ても、ちょっと気になるところではあった(後日SNSを見たら同様の感想も見られたので少しほっとした)。

 

 最後にもう一つ。最後ベラが医者になる、と決めたところについて。正直私はアテネでの場面が印象深く残っていたので何となく彼女が貧困な人々や困難な人々を助ける非営利事業に参加するのかなあ…なんてぼんやり思ってたのだが、医者になるというのは意外だった。というのも私は全体的にゴッドウィンの描写から、この映画は医者に対してポジティブなイメージを持たせてないな…と感じていたからだ。「マックスのような、他人の身体をいじくりまわす医者にはならない」と、負の連鎖を断ち切る的な意味合いなのかと思っている(ラストがラストではあるけれど)。

   恐らくそれまで自分たちが支配していると思っていた女性に逆にヤギの脳を移植されるというどんでん返しは確かに男性中心社会に一泡吹かせている。が、そもそも他人の身体を傷つけていじくりまわしているこの映画の根幹設定自体があまりフェミニズム的なモラル感のそぐわない気がしてしまう…のは否めない。しかしそもそも原作もフェミニズムだけが主題なわけではないし、設定やストーリーそのものは斬新で男性中心社会に対する痛烈な批判的視点がある。

 

   ともかく面白かったが、アッパーカットをヒットさせたけど、HPが減っていないかもしれない…というようなイメージはある。

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